被災地炊き出し報告【輪島市立河原田小学校避難所】
大阪~金沢間最終日のサンダーバードに乗り、今回は輪島市中心から少し南に位置する河原田小学校へ110食の炊き出しへ向かいました。今回のメニューはカレーではなく、日々被災者の方に炊き出しを行ってる「金沢キッチン」私の妹が作る体に良い食材を弁当にしてお届けしました。
仕込みが終わったあとの記念撮影。お手伝い頂いた皆さんおりがとうございした!
調理の翌日、1ヶ月ぶりの能登里山街道はまだ北行き片側一車線でしたが、最終の珠洲まで走れるようになっていました。今は県に代わり国が工事を担ったそうです。輪島の一般道へ下りるとコンビニや商店は営業しておらず、多くの建物が全壊、半壊の貼紙がされ、景色が一変し緊張が走りました。
河原田小学校の体育館、近くの公民館、自主避難されてる方など、車でやって来られ数食分を運んで行かれました。土曜日で天気が良いので自宅へ戻れる方は片付けなど行かれた様子。学校もよく見ると校舎の側面が崩落したり被害は至るところに見受けられました。ちょうどグラウンドに仮設住宅が建築中で、全国から集まった職人さんだと警備員のおじさんが色々教えてくれました。このかたも自宅が全壊されたようです。現在44世帯の仮設住宅が建築中。警備員の人達もお弁当食べたいと言われたので食べてもらいました。
建設中の仮設住宅
1時間ほどで配り終え、ニュースで目にしていた輪島朝市の火災現場へ向かいました。北上するほど建物の倒壊が更に増えました。そして目の前に突然火災跡の現場が現れました。想像以上の敷地面積に火がまわり、道路を跨いでも焼け野原になっており、一瞬「これは現実の光景?」と目を疑いました。本当に信じられません。全国から自衛隊、行政の建築課が現場調査に来ており、「ご苦労様です」と声を掛けてくださいました。過去に一度朝市へ行ったことがありますが、全く違う風景となってしまいました。亡くなられたかた、被災されたかたへ思いを寄せながら、これからも微力ながら自分のできる範囲でお手伝いできたらと思います。
このオブジェだけ焼けていなかった
昨日開通した北陸新幹線に乗り、大阪へ戻ってきました。敦賀での乗り換えは正直不便でした。新幹線の開通と被災地の現状の相反する状況、私にとってまた大きな経験をさせてもらえた今回の炊き出しでした。