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インタビュー特集

次回の炊き出しは4月28日(日)になります

現在ボランティア受入れは行っておりません。

インタビュー

Interview vol.4 団体立ち上げ期のストーリー 「思い込みが激しくて人見知りな、博愛精神のない人。どうぞ、手伝いに来てください」 樋口 順三(ひぐち じゅんぞう)さん

炊き出し志絆会が活動を開始してから、もう20年以上が経ちました。
その長きに渡り、この活動に取組んできたのが樋口順三さんです。
20年間、月1回の炊き出しを休むことなくずっと続けてきた樋口さんに、その想いをお聞きしました。

きっかけは頼まれごとから

ーー 樋口さんがこの活動を始められたのは1996年。
阪神淡路大震災の起きた翌年でした。
実は、いちばん最初に炊き出しを始めたのは、樋口さんではなかったのだそうです。
本当の発起人は、とある英国人女性。
その方から「手伝って」と言われたことが始まりだったのです。

樋口さん(以下 樋口)
「西成のホームレスの人らに食事を提供したいから、一緒に行ってくれませんかと言われて。
樋口さんなら逃げませんでしょうと。
ほんまは逃げたかったけど(笑)」

ーー ところが、活動開始後まもなく、家族の事情によりその女性はイギリスへ帰国してしまいます。
そのとき残された樋口さんとボランティアメンバーは、彼女がいなくても自分たちで炊き出しを続けることを決めたのでした。
最初のきっかけは、意外にも他人からの依頼だった支援活動。
しかし、これがその後20年以上続く炊き出しの支援活動へと成長していくことになるのです。

ーー 「言い出しっぺ」がいなくても続けてこられた20年ですが、その間にやめようと思ったことはなかったのでしょうか。

樋口
「ないですね。しつこいから、やりだしたら死ぬまで(笑)。
善きことをいったんやりはじめたらそれを続ける。
そのためには続けるための工夫が必要です。
自分の心の安定がないと『おもしろくない!もうやめや』となってしまうから、そうならないよう忍耐力や意志の力を鍛えることが大事やと思います。
それの勉強の場ですわ」

ーー ご自身でも会社を経営されている樋口さん。
「続けていく」ということの大切さや難しさは、経営でもボランティアでも、共通するところなのでしょう。
その哲学には「自己の成長」というテーマが、根底に流れています。

樋口
「成長というのはなにかというと、『めんどくさがらない』ということ。
この、『めんどくさい』ということをいかに自分のなかから無くせるか、ということが、ボランティアにおいていちばん得るところですね」

多くのサポートは「感じてもらう」ことから

ーー 志絆会の炊き出しは、当日現場にいない人からも、たくさんのいろんな支援をいただいています。
それは寄付金という形であったり、物品の譲渡であったり、じつに多くのサポーターからの思いによって支えられているのです。
そんな方々との関係性も、樋口さんがきちんと「めんどくさがらずに」やってきたからこそのもの。

樋口
「奉仕の精神で、ボランティアでも普段の仕事でも、一生懸命やって『こんなめんどくさいこと、しんどいこと、ようやってくれはった』という気持ちを相手が感じてくれはったら、思いもよらんサポートをしてくれはるんです。
なので、長いこと、だまってやり続けること。
それが、信頼性につながる。
そういう循環が、20年間のなかで培われてることは、事実ですね」

ーー たくさんの人の思いに支えられ、変わらない活動を続けてこれた志絆会は、今まさに過渡期にあります。
代表を努めてきた樋口さんは、これからの志絆会についてこんなふうに考えています。

樋口
「若い人に続けてもらえるように、私は後方支援に回って新しい人にバトンタッチしていっています。
例えば、古市さんの肩たたき。
肩たたきしながら、おっちゃんの心のケアをしてあげる場や、うちの娘を中心にした、音楽や歌を歌うこととか。
お腹の満足が満たされたとき、心の満足も満たされるというしくみが、自然発生的に増えていくといいですね」

ーー 20年という時間を経て、ただ食事を提供するだけの集まりではなくなった炊き出し志絆会。
樋口さんが意図したところではなかった不思議な体験に出会うのも、活動を続けてきたからこそ。

樋口
「『10年続けることは偉大、20年は恐るべし、30年は歴史に残る、50年は神の如し』と教えてくれはった人がいらして。
今は『恐るべし』だから『歴史に残る』までやり続けることが大事なことやなぁと、思うんです」

あなたの持つ「偏見」こそが、大きな力

ーー 志絆会が歴史に残るまで活動を続けていったとしたら、そのときにはこんなふうになっていたい、という理想ってあるのでしょうか?
樋口さんに訪ねてみると「そらもう簡単ですわ」と、こう答えてくれました。

樋口
「おっちゃんらがね、炊き出し手伝ってくれたら、それが理想!」

ーー 実際に、炊き出しを手伝ってくれるホームレスの方が今でも数人いらっしゃるのだそうです。
しかしそれは決して樋口さんから声をかけたのではなく、そのホームレスの方々が自ら申し出てくれたのだとか。

樋口
「僕らはなにも言うてないんですよ。
でもね、話してる中で心が通じ合うでしょ。
そしたらわかりますやん。
そして彼らが自分で、この人何したら喜んでくれるかって感じて、行動できるということは、その人自らが幸せになるということなんですよ。
彼らにちょっとでも『手伝いたい』という気持ちが芽生えてきたら、それは間違いなく幸せになれる。
それは、僕にだけじゃなく誰に対しても言えることです。
物品を与えることよりも、心が通じ合うということがいちばん大事なんです」

ーー どんな支援も言葉も、意図して人間を変えることはできません。
一貫して「行動で示す」こと、やめなかったこと、そしてたくさんの以心伝心を続けてきた樋口さんだからこそ、その言葉には重みがあります。

樋口
「あそこにおるおっちゃんらが、何人手伝ってくれるようになるか。
おっちゃんらがカレーを提供する側になったら、そら最高やね!」

ーー ボランティアが得られる喜びのうち、人の変化を目の当たりにするというのは、お金では買えない価値のひとつ。
変わっていく人を目の当たりにすることで、自分も変わっていく。
ただぼんやりと生きていく時間を積み重ねただけでは得られない「日常」が、釜ヶ崎にはあります。

樋口
「ホームレスのおっちゃんらも、我々も何も変わらない。
なのにどれだけ我々が、だれでもを厭うかという偏見の気持ちを、自分のなかでチェックする。
『ああ、私まだ大したことないな』とか『たいぶん良うなってきたな』とか『人の好き嫌いがなくなってきたな』とかね」

ーー ボランティアに参加することは、必然的に自分のなかの偏見と対峙することにもなります。
それはともすればちょっと怖いことでもあるのかもしれません。
こんな人にボランティアに来てほしいって人、いますか?そんな質問をぶつけてみると、樋口さんはこう答えてくれました。

樋口
「思い込みが激しく、人見知りで博愛精神がない、まさに私はそういう人物でした。
そういった生き方をしてきた私の人生に対して、奉仕という手段でもってバランスをとるよう今も尚努力しています」

ーー そして、満面の笑みで「どうぞ手伝いに来てください」と言う樋口さん。
自己中心的な考えから離れた奉仕活動は、あなたにもたくさんの「変化」を体験させてくれるはずです。
樋口さんは、最後にこんな言葉をくださいました。

樋口
「ボランティアで得られる最高の喜びとは、この炊き出しの支援者の素晴らしさがわかる瞬間です。
長い期間、物資を謙虚な姿勢で提供してくださる方に対して思いを馳せた時、私の心の中に感動の光が差し込みます。
この方とボランティアを通じて繋がれる絆は、何ものにも代え難いものなのです」

取材・編集:
池田 佳世子
/ 写真:
新 レイヤ