ホームレスとしてのくらし
ーー 鮮やかなブルーの上着にジーンズ、きれいに手入れされた革靴という、とてもホームレスとは思えない装いで、和田さんは現れました。
和田さん(以下 和田)
「歳とったら、茶色の服とか着たりするやん、あれはいややねん。
いつもこんな格好で歩いてるから、ホームレスとは見られへん」
ーー 和田さんが釜ヶ崎にやってきてから、もう20年以上が経ちました。
しかしホームレス生活が始まったのはそれよりももっと前から。
生まれたのは大阪市西淀川区。
中学を出てから、父親の勤めていた鉄工所に自身も就職しますが退職し、18歳のころハローワーク求人で見つけた自衛隊に入隊します。
物価も安かったけれどもそれでも当時のお給料は1ヶ月75,000円ほどで、いまの自衛隊員に比べればとても薄給。
ですが、お給料はほとんど実家へ入れていたと和田さんは言います。
和田
「(自衛隊での)給料は、そんなに使うこともないから、ほとんど親のとこに渡ってた。
小さい頃から、親には小遣いもらったことない。
もしなにか欲しければ家の手伝いをして、買い物とか行くでしょ。
そのお釣りを小遣いにしてた」
ーー 5年ほどで自衛隊をやめてから、和田さんは実家を出ます。
そのあと、梅田や伊丹などを点々としつつ、清掃会社や印刷会社、飲食店や文楽の黒子(!)など、あらゆる職を渡り歩きます。
そしてたどりついた西成で、現在は主にシェルターに寝泊まりしながら、ときには短期派遣で日本各地に移動し、生活しています。
和田さん(以下 和田)
「去年は、半年くらい稚内でホタテの貝むきをしとったよ。
そのあとは青森で、豚肉の加工を2ヶ月くらい。
そのあと大阪に戻って、またアルバイトをちょこちょこしてる。
西成におったら、お金なくても生活はできるからね」
ーー 今のお仕事はショッピングモールのゴミの分別。
夜8時から12時くらいまでが勤務時間で、月の収入は6〜7万円ほどになります。
和田さんは、年金も生活保護も受け取っていません。
生活保護を受けると、お金は手に入ってもある程度の制約が設けられてしまいます。
いまの仕事はひとつだけですが、ゆくゆくは掛け持ちをして稼いだお金をすべて自由に使い、アパート暮らしをするという目標がある和田さんは、あえて生活保護を受けずに生活しています。
そして、健康保険証も持っていないため、健康を害したとしてもずっと働き続けなければいけない状況。
ときにはもちろん、不調があるときもあります。
そんなときでも「我慢して、気合で治す。
医療センターには行ったことない」と、和田さんは笑います。